セッターラ通りの日曜日

8年目の異国暮らし。恋しや日本。

03 2017

第74回ヴェネチア国際映画祭2日目

 結局、午前2時45分くらいに睡眠で、寝不足状態で午前7時15分に起床。枕の下に1ユーロを置いておく。

 午前8時少し前に下に降りていったら、すでに朝食を始めている人たちがいた。なんだ、大丈夫なのか。昨日のとても感じの良い女性がいたので、「朝食を摂る時間がないので、宿泊代の支払いできますか?」と聞くと、「まあ、払いたいの?」とやれやれといった笑顔を浮かべ、手続きをしてくれた。「映画祭に行くのね? ブリオッシュを用意をしてあげるわ」と気をきかせてくれ、出来立てのホッカホカを2つもたせてくれた。持っていけたらいいなと思っていたので、とっても嬉しい心遣い。急いで出ていこうとしたら、オーナーらしいおじさんに止められ、「知ってるか? ジョージ・クルーニーがアメリカ大統領を目指すらしいよ。昨日のニュースで聞いた。これでトランプはお払い箱だ!」と。それは朗報だ。でも、おじさん、わたし、もんのすごく急いでるんです。

 速足でずんずん進み、順調順調と思ったら……あれ? 見たこともない場所に出てしまった……あぁぁぁ、昨日あれほど確認した道なのに、なんで迷うの、わたし。このままでは1本目に遅れてしまう。ちょっとパニックになりながら、通りすがりのお兄さんにサン・マルコ広場の方角を聞き、ちょっと歩くと見つかったので、ほっ……。本来は時計台の下から抜けなくてはいけないところ、なぜだか時計台の左側の道から抜けてきたわたし。逆方向ではなく、90℃左方向アンテナ起動。

 それにしても、朝早いとさすがのサン・マルコも人気がなくて見晴らしが良い。進行も邪魔されない。無事に8時22分の水上バスに乗ることができた。やれやれ……。

 会場そばでバスを降りると、やっぱり警察のセキュリティー・チェック。やっぱり毎日あるらしい。面倒くさ。

 1本目は午前9時からの『Victoria & Abdul』。スティーブン・フリアーズ監督の新作だけに期待満々。
 ちなみに、フリアーズ監督は今年の「監督・ばんざい!賞」に選ばれた。元々は、北野 武監督が2006年に『監督・ばんざい!』でヴェネチアに招待されたときから始まった賞。もっとも、賞が始まったきっかけは確かに北野監督の映画だったとはいえ、「監督・ばんざい!賞」なんて呼んでいるのは日本だけじゃないの。実際は「Premio Jaeger-LeCoultre Glory to the Filmmaker」、スイスの高級時計メーカーの名を冠したジャガー・ルクルト映画作家賞。

 『Victoria & Abdul』は、大英帝国のヴィクトリア女王と、その女王に寵愛されたインド人の使用人アブドゥール・カリムにまつわる実話を基にした作品。ジュディ・デンチは1997年にもジョン・マッデン監督の『Queen Victoria 至上の恋』でヴィクトリア女王を演じており、そこでは寵愛したスコットランドの使用人ジョン・ブラウンとの交流と騒動が描かれていたけれど、ジョン・ブラウンの死後、アブドゥールが現れその心の喪失を埋めたようだ。

 アブドゥールと出会う前の女王は、生きる屍のように定められたルーティーンを虚ろにこなし、食べて寝るだけの老女として、フリアーズ流ブラック・ユーモアのスパイスを塗され、痛々しくも滑稽な姿をさらす。でも、その澱んでいた瞳が生気と輝きを取り戻すのは、初めてアブドゥールの姿をその目でとらえた瞬間からだ。確かに、彼女の眼差しで映し出されたアブドゥールは、初々しく美しい異国の青年だった。彼に深く心をとらえられた女王は、周囲の困惑と反感をものともせず、傍に侍らせ、彼からウルドゥー語を学び「Munshi(ムンシー、“師”の意味らしい)」と呼ぶまでになる。

 その破格の扱いに、息子である後のエドワード7世(コメディアンのエディ・イザードが記者会見で「自分だとは分からなかったと思うが……」と言ったとおり、驚くほど実物に似ていた)はじめ、側近の者たちは女王を「心神喪失」として退位させようと図るが、それを一蹴したときの女王の台詞が圧倒的で、最高の見せ場でもあった。

 スティーブン・フリアーズ監督の作品としては、可もなく不可もなく……といった印象。自分の好みの問題でもあるかもしれないけれど、時代ものは、おそらく見せる要素が分散するせいか、深く入り込めないことが多い。わたしにとってフリアーズ監督の映画では、やはり87年の『プリック・アップ』を超える作品はない。同じくゲイの恋愛を描いた85年の『マイ・ビューティフル・ランドレット』のほうが反響は高かったけれど、わたしは断然『プリック・アップ』。これを観てから、ゲイリー・オールドマンにドップリはまり、日本未公開作さえイギリスから取り寄せたっけな。

 今日は12時30分から『RYUICHI SAKAMOTO:CODA』の記者会見があり、最後まで観られないけれど時間も空いていたので、ヴェネチア・クラシック部門のソ連映画に関するフランス制作のドキュメンタリー『L'Utopie des images de la révolution russe』を観に行ったものの、あまりに解説が多くて字幕を追うのに疲れ、やがて意識喪失。1917~1934年の間に製作されたソ連映画がどれほどユニークで革新的だったかを紹介していたらしいが、わたしの頭は完全に撃沈。

 はっと目を覚ますと、『RYUICHI SAKAMOTO:CODA』の記者会見の時間だ。慌てて会場に向かった。坂本龍一さん、質疑応答を英語で通した。日本語で聴きたかったなぁ。そのうち原稿に起こさなければ……と思いつつ、まだできていない。

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 昨日観た『La Villa』の会見もそのままいて、午後1時30分の『Victoria & Abdul』まで会見場にいた。スティーブン・フリアーズ監督とジュディ・デンチが見たかったので。映画では美しかったアブドゥール役のアリ・ファザールが残念なほど太っていて衝撃。

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 3本も会見に出ちゃうと、あっという間に午後2時過ぎで、ランチには中途半端な時間。会場のビュッフェはバカ高くてしょぼいけれど、サラダだけでも……と思って会計すると、パックに入ったスーパーでは3ユーロ弱のサラダが7ユーロ。もう、絶対買うもんか。もちろん、これでは足りないので、作業の遅いピザ屋で延々待たされたあげく、ピザ1切れゲット。

 遅いランチの後はちょうど時間の合う映画がなかったため、プレスルームで軽く作業し、午後5時15分からの小津安二郎監督『お茶漬けの味』を観に行く。でも、読みが甘かった。15分前に行くと、もう長蛇の列。おまけに、一般客も入る上映のため、その分プレスへの割り当ても減る。案の定、途中で切られてしまった。

そこで気を取り直し、午後5時30分から上映のジョン・ランディス監督85年の作品『眠れぬ夜のために』へ。ヴェネチア・クラシック部門。レッドカーペットが敷かれていたのでゲストの来場があるようだけれど、幸いにして入場できた。始まってみると、来場していたのはまさにランディス監督。ラッキーだった。本作は監督が「興行的に失敗した最初の作品」と言って笑いをとっていたけれど、これが実に面白かった。この作品については、また後日。

 次は『お茶漬けの味』と同じ会場だけれど、プレス試写なので入れるだろうと思って選んだ午後7時45分からの『Caniba』。オリゾンティ部門の作品。フランス映画なのに、メインの音声は日本語と書いてある。あら、これは楽だわ……と思うだけで、まったく内容を調べずに行ったら、なんとあの、1981年にパリ人肉事件を起こして、世界に衝撃を与えた佐川一政氏のドキュメンタリーだった。当時ベストセラーになり芥川賞も受賞した唐十郎の「佐川君からの手紙」をわたしも読んでいたため、つい“佐川君”と呼んでしまいたくなるが。

 佐川氏は2013年に脳梗塞で倒れ、車椅子生活で言葉もままならず、実弟の介護を受けながら生活している様子が映し出されていた。佐川氏が発するのは「うん」とか「そう」とかの短い単語と、フランス語はなぜか「Je pense……」のみ。「僕が思うに……」の後、思った内容は決して続かない。

 被写体さながら、異形の作品だった。とにかく、横たわった佐川氏の顔をどアップでえんえん、えんえん、えんえーん写したシーンが数回。それぞれ5分は続いていたんじゃないだろうか。わたしの意識が遠のかなかったのが不思議なくらいだ。その合間に挿入されるのは、佐川氏が帰国後に出演したアダルトビデオの映像(そんなものが存在するとは夢にも思わなかった)、自分の引き起こした人肉事件を詳細かつリアルに描いた佐川氏の漫画、子供時代の写真や弟と映った幼少時の楽し気な8ミリ・フィルム。終戦直後なのにこんなフィルムが残っているのは、よほど良いおうちの生まれなのだろうと分かった。

 そして、何よりも衝撃だったのは、佐川氏のことよりも、その端正な顔立ちの実弟の性癖が明かされたときだった。よくぞここまで映像の前にさらしたものだ。ずっと秘めていたらしい性癖を明かしたことで、弟さんはどこか解放された様子で、弟さんに「驚いた?」と聞かれた佐川氏は「いいや」とさらりと答えた。子供の頃からころころと共に遊び、互いに心の闇を抱えてきた兄弟が、晩年になって互いを無条件に受け入れる。きっと、このドキュメンタリーはつまるところ、それを描きたかったのかもしれない。

 時折嘔吐を催しそうになる内容に加え、忍耐を強いる表現方法でもあり、プレス試写では珍しく、上映後全く拍手がなかった。でも、この作品は結局、オリゾンティ部門の審査委員特別賞を受賞した。ユニークな視点をもった審査員たちだったのだろう。

 終了は午後9時20分頃。午後9時半や10時からの上映もあるけれど、この夜は早めに引き上げてサン・ザッカリアに戻り、朝道に迷ったときに見つけた中華「海城」に行く。迷うのも時には悪くないもんだ。最低2日おきに醤油を注入しないと精神が不安定になる。焼きそばを食べてお腹と心が満たされた。

 ホテルに戻って枕の下を確かめると1ユーロがなくなっていた。このホテルではチップを受け取るらしい。最近ヨーロッパのホテルではチップを置いてももっていかない所も増えてきた気がするけれど、ここは建物からして良い意味で旧式な雰囲気が残っている。これまでこの時期のヴェネチアで宿泊したホテルは、チェルト―ザ島で泊まったホテル以外はほとんどがまとも以下の所だったので、毎日清潔に掃除されてタオルも交換されているだけで嬉しい。

 昨夜は気がついたら爆睡。8時20分に目覚ましで起きた。

 さてお天気は……見事にざんぶり☂ しかも、寒いわ! 天気予報をチェックすると19℃。19℃でこの寒さ。15℃なんて凍え死ぬ。

 着ていく服を変更せざるを得ない、この朝の忙しいときに。でも、最初はレザージャケットかコートかと迷ったけれど、さすがに歩いているうちに汗みどろになるだろうと思い、長袖ワイシャツにした。そして、一日か二日の雨のためにかさばる雨合羽を持っていくのもなんだなと思い、止めた。

 9時35分に出発。幸い、傘は必要とはいえ、起きたときよりは雨は小降りになっている。歩いて9時50分に駅に到着。フツ―に歩くと5分で着くのに、雨とスーツケースという二重苦で3倍の時間がかかった。でも、余裕余裕、ホームのゲートに入るため、プリントアウトしたチケットを取り出そうとすると…………おや? リュックのチャックが開いている。そして、ポケットの中はからっぽ。……血の気が引いた。家に忘れた? どこかで落とした? 財布が入っていると思って誰かに盗られた? 思考が目まぐるしく駆け巡る。いや、ちょっと待て。他のポケット……っていうか、元々入れていたポケットを探ったら……あ、あった。チャックが開いていたのは、別のポケットだった(汗)←バカ。や~~焦らせるわぁ。チャックが開いていたから、ついそこに入れてたと思ったさぁ。なんたって、電車のチケットだけじゃなく、水上バス・チケットの引換書、プレスパス受け取り書、ホテル予約書、地図、チケット交換書、帰りの電車チケット全て入っていたから、わたしの焦りはご理解いただけるでしょーとも。

 列車に無事乗り込み、5分遅れの10時10分に出発。PCとKindle(昨夜はKindleで遊びながらいつの間にか爆睡で、起きたときにはバッテリー残量1%!になっていた……)を充電しつつ、サイトの更新作業をせっせとするも、隣の気のいいおじさんにやたら話しかけられる。わたしのPCを覗いて「これは日本語かい? いいねぇ~日本に行ってみたいもんだ」とかね。スイス人で、フランス語とスペイン語とイタリア語とカタラン語が分かるという。プリングルズまでお裾分けしていただいた。そして、おじさんは仲間たちと共にヴェローナで降りていった。

 おっ! ヴェローナあたりから晴れている! よかったよかった。さぁ、一応確認……と思って、さっき焦らせられた書類一式を確認すると、プリントアウトしたはずのホテルの確認書がない……。メールを辿ると、3月ではなく昨年の11月30日にはすでに予約していた。いつの間にわたし……。でも、そーいえば、Booking.comからいつも来る「ヴェネチアへの旅が近づいてきました!」というメッセージが届いていない……。猛烈に不安になってきた。とりあえずは、コンファメーション・メールを探して、Kindleを開くとすぐに見られるようにしたけど。あぁ、だいじょーぶかな……。着いたら部屋がないなんてことがないよね……。しかも「重要事項:到着時間を連絡してください」と書いてある! 慌てて電話して「本日から10日まで予約してるけど、2時頃着く予定」と言うと、「え!? 予約なんて入ってませんよ」などとは言われず、「分かりました。道は分かりますか?」とだけ言われた。ってことは、大丈夫か……? でも、イタリアだからな~着くまで安心できない。いきなりのストレス。は~は~。あぁ~ダメだ。わたしの人生は不安に満ち満ちている。
 
 12時50分頃ヴェネチアに到着。頼みもしないのに、出口前にいたカップルの男性のほうがわたしのスーツケースをホームまで下してくれた。ありがたや。黙っていても手伝ってもらえるお年頃になっちゃったってことだね~。外に出ると、ピーカンの天気でしかも暑い。2番線の水上バスがまたとんでもなく混んでいて、3本目もちょーどわたしの前で切られた。まーいいや、急ぐ旅でもなし。その次に来たのは、Rialto直行便で、所要時間はほんの14分。

 最初の難関はRialtoで降りてからだ。どうも地図通りの道が見つからず、とにかくそっち方向だよな~というほうにひたすら進んでみる。わたしの逆方向アンテナが働きませんよーに。とんでもなく狭い道やら運河にかかる橋やらを、すっごく重いわけじゃないけどそれなりに重いスーツケースを引きずりながら、ちんたらと突き進み、ついに最大の目印であるSanta Maria Formosa教会をハケーン! 教会には目もくれず、広場を突っ切った所にあった、ようやく地図にある名前と一致した道に入り、案内に書いてあったように4番目の、人一人しか通れないような狭い道を左に曲がり、6217番のホテルを見つけた!

 旧領事の邸宅だったということで、全くホテル風の入口ではなく、他の棟には普通の住居もあるようだ。呼び鈴を鳴らしてドアが開くと、廊下のずーーーっと突き当たりに優しそうな老女が立って待っていてくれた。どうやら、わたしの部屋はあるらしいと安堵。

 建物内にある水上タクシー乗り場。リッチな方たちがご利用される。
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 中世の面影を残す建築。ここから2階に上がるとホテル入口がある。
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 2階に上がると、受付というより、まさに大邸宅のお客様が食前・食後の談話を楽しむような一室で、迎えに来てくれた女性が何故か「お金はまだいいです。滞在税21ユーロだけ払ってくだされば」と言う。わたしは全額払う気満々だったのだけど「明日朝の朝食前でいい」と押し切られる。でも、明日8時10分から朝食が食べられる可能性は薄い。9時からの映画を観る場合は絶対ムリ。あぁ、いつ払わせてくれるの。

 部屋は古めかしい調度品が置かれていて可愛い。
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 ちゃんと薄型テレビも冷蔵庫も壁に埋め込まれた金庫も冷房もあるし、申し分なし。少し休みたいところだったけれど、持ってきていたパンを急いで食べて、すぐに出た。

 本当はRialtoのほうが若干近そうだけれども、プレスフリー・パスをもらえる場合を想定して、San Marcoのほうに向かった。目印の教会前にある道から真っすぐに来たのを、今度は左側に向かう。San Marco方面、Rialto方面は道々で掲示が出ているので、さほど迷わずに済む。しばらく歩いてサン・マルコ広場に辿りついた。相変わらずもんのすごい観光客だ。歩いている途中で若い女の子に止められて、10人くらいの家族の団体に写真を撮ってと頼まれる。きっと、この人ならケータイを奪って逃げ去らないと思われたんだろー。

 1年ぶりに見る、サン・マルコ広場のライオン様は相変わらず猛々しい。
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 サン・ザッカリアの水上バス乗り場に着いたのが15分後ほど。ちょっと迷ったり止められたりしたから、10分くらいで行けるかな。時刻表を写メし、2番線でLido行に乗った。14分。朝早くは1番線で17分ほど。9時の映画を観るには遅くとも8時22分に乗らなければ。高いだけあってホテルはいいけれど、距離は過去最高に遠い。

 リド島に着いて、すぐに映画祭会場行バスに乗り込んだ。でも、着いた所がこれまでで一番遠い場所。2年前までは会場入り口にどんぴしゃりに着いたのに、なんだってこんなに遠くに止めるようになったんだい。おまけに、ヨーロッパで頻発しているテロのせいか、これまでで初めて警察のカバン・チェックがあった。といっても、わたしのように人畜無害そうなアジア人のリュックは形式的に開けさせるだけ。この儀式、毎日あるんだろうか……。

 まずは、わき目もふらずプレスセンターに直行。入口の警備のお兄さんに承認メールを見せてプレスセンター受付に行き、プレスパスをゲット。そして、最大の関心事であったSan Marcoまでの7日間フリーパスももれなくついてきた。去年はもらえなかった映画祭特製布バッグも! これがとっても便利なんだ。リュックに納まりきれないPCや時々取り出して見たいプログラムを入れられる。今年ももらえない場合のために……と過去にもらったブラックのバッグを用意してきたけれど、杞憂に終わった。ちなみに、今年のからーはグレイ。毎年変わる。なんで去年はなかったんだろう。わたしだけ……?と思ったりもしたけれど、どうやら周りのプレスたちももっていなかったので、やっぱり去年は支給されなかったんだろうなぁ。

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 会場の様子は毎年微妙に変わっている。ピザ屋がカフェ売り場と同じ敷地に移っている。芝生のあちこちに置いてあった、昼寝もできた巨大クッションがなくなっている。雨模様だから撤去したのか。

 さて、1本目は何を観ようかね……とプログラムを見るものの、時間の合う上映がない。チケット売り場には「5時台のサラ・グランデのプレス用チケットが少し残っています」と掲示されているのに、いざ並んでみると「もうありません」と。おい!

 というわけで、1本目は午後7時30分からの『RYUICHI SAKAMOTO:CODA』。坂本龍一が東北大地震の被災地から福島の放射能汚染地域に入り、原発再稼働反対の運動に参加したシーンから始まる本作。津波で流されたピアノを調律し、陸前高田の避難所で暮らす人々の前で、バイオリンとチェロの3重奏で『戦場のメリークリスマス』のテーマ曲をそのピアノで弾くのだけれど、坂本龍一の深い祈りがこめられたその音に心が震えた。その場にいたらきっと、涙を流さずに聴くことはできなかったろう。

 映像にも出てきたけれど、若き日の坂本龍一といえば80年代ニュー・ウェーブのアーティストとして先端を行き、おされなサブカル系の方たちから「教授」と信奉される雲の上の存在で、その発言も、非凡な才能にあふれ将来が約束された青年の若さゆえの矜持と多少の傲慢もあったかもしれない。映像の中の若き日の彼は、なぜシンセサイザーを使うのかと問われ、「実際には弾けないスピードで音を出せたりするから。そうできるために、毎日苦労して10時間も練習する必要がないでしょ?」とさらりと言ってのける。
 でも、震災の状況を自らの目で見、癌患者ともなった坂本龍一は、厳かにおののくように「生」を見つめ、静かに受け止める人となっていた。自然の「音」を愛し、子供のように無邪気に「音」と戯れるこの人の姿は新鮮で心打つものがあり、坂本龍一という人はやはり真の「音楽家」なのだと思った。

 「バッハは祈るように作曲したんだよね」と語る坂本龍一も、ピアノの鍵盤に指を置いて短い音を紡ぎ、譜面に落としていくその姿はまさしく、一音に魂を込めた「祈る人」そのものだった。

 今年も、良い作品で始められてよかった。

 2作目は、10時からのコンペ参加作品『La Villa』(フランス、ロベール・ゲディギャン監督)。マルセイユに近い、美しい海辺のヴィラに暮らす老人の死期が近いことから、壮年になった子供たち3人が一同に会するお話。パリで売れっ子の舞台女優になり、何年も帰省していなかった娘をアリアンヌ・アスカリッド、自分の子供と言ってもいいくらいの若いギャルと付き合っている息子の一人をジャン=ピエール・ダルッサン、地元に残って父親のローカルなレストランを引き継いでいるもう一人の息子をジェラール・メランが演じている。この3人は、日本でも公開された『マルセイユの恋』(96)、『幼なじみ』(98)、『キリマンジャロの雪』(11)の全作に出演しているらしい。おかしい、フランス映画はフォローし続けてきたわたしが、どれも観ていない。2002年には『Marie-Jo et ses 2 amours』という作品がカンヌのコンペにエントリーしたようだ。なるほど、ロベール・ゲディギャン監督って、アリアンヌ・アスカリッドの配偶者なのね。アリアンヌ・アスカリッドは今回、役柄的に厳しかった。ロバンソン・ステヴナン演じる青年が恋い焦がれ続ける対象にはどうしても見えなかった。それにしても、横浜フランス映画祭で来日した頃はまだ少年のようだったロバンソン、いつの間にかすっかり後頭部が寂しい状態になっていて、軽い衝撃。……と、俳優の話でお茶を濁すわたし。

 実は、中盤からがっつり寝てしまった。久しぶりに集まった兄妹が、故郷や父親を巡って、それぞれの立場から複雑な思いや葛藤を抱えているのは分かった。かつては活気のあった田舎町がどんどん鄙びて、時代共に味気のない風景に変わっていくのを嘆くのは、日本の地方都市と同じ状況だ。中盤に差し掛かる辺りか、海辺に漂着する難民の話がちらほら出てきていた。そして、意識喪失――。目覚めると、いつの間にやら、難民と思しき2人の子供たちが登場していて、壮年の3兄妹と歩いている。言葉は通じないものの、3人はある地点を通過するときに「子供の頃、よくここでお互いの名前を呼び合ったんだよ」と教えて、やってみせる。そこでは、声がこだまのようによく反響するということが分かる。真似をする子供たち。皆それぞれ抱えるものはあるけれど、希望を感じさせる終わり方……というのだけは分かったね! ごめんなさい。疲れてるんです。

 午前1時近くにホテル着。こんな1週間が始まった。
今日こそは早く帰ると心に誓ったのに、結局午後8時半までサービス残業。
あぁ、ニッポン人。

今日はついに雨が降り、でもラッキーなことに、ランチで出たときと帰宅したときに限って降られなかった。
気温はぐっと下がって、19℃でもちょっと寒い。これじゃーヴェネチアの朝晩は確実に寒い。
ふーらふらで帰宅して、インスタントラーメンで空腹を満たしてから、多少衣類を入れ替えた。念のため、使い捨てカイロも。大袈裟だと思うでしょー? いや、侮れませんのだ。ヴェネチアで15℃まで気温が下がると、ミラノ以上に体感温度が下がるのは経験済み。

ふーらふらでゴミ捨てに行き、シャワーを浴び、映画サイトを更新して午前2時半。
テレビでは、栄誉金獅子賞を受賞したロバート・レッドフォードとジェーン・フォンダの特集をやっていた。二人を生で見逃して残念。
栄誉金獅子賞関連は、映画祭後半にやってほしいもんじゃ。
昨年はジャン=ポール・ベルモンドで、元ヌーヴェル・ヴァーグの寵児をこの目で見ることができて心がふるえた。

あと、8時間弱で出発だぁ。
寝る。
01 2017

ヴェネチアまであと一日。

ヴェネチア入りまで、ついに後一日となった。

今年はかなり順調に準備が進んだ。
ホテルは3月時点で2軒押さえ、最終的に良さそうなほうを取り、早めにしたプレス申請は即日で通ったし、すぐにミラノ・ヴェネチア間の往復チケットを購入し、水上バスの1日券も購入。

今週火曜日段階で衣類を中心に荷造り完了。あとは、毎日使用しているものを出発当日に加えるだけ。ポータブルPCもメールとDropboxを更新した。映画サイトも映画祭ページを夏休み中に作成した。

仕事も前倒し前倒しで、出発前日の金曜日にバタバタしなくて済む見込み。去年は午後9時まで働き、意識も~ろ~のまま帰って荷造りしたっけな。来週月曜日に25名ほどの新入生が入るので、その準備で大変だったけれど、明日はどんなに遅くとも午後7時にはあがれるだろー。

でも、よりによって、出発日の土曜日は衝撃の雨……。ヴェネチアで、中型とはいえスーツケースを転がしてリュック背負って傘……は過酷なので、しょーがないから、雨合羽を着よう。無印良品で黒い雨合羽を買っておいてよかった。
おまけに、期間中の気温は最高で25℃、最低で15℃という、例年にない涼しさ(寒さ)。数年前までは、疲れた一日、リド島の海辺で水着になって寝ころんでいられたのに(海に入るのは嫌いだから入らないけど)、今年は絶対ムリだ。
こんな気候では、洋服のセレクトが一番困る。とりあえず、長袖の服を多めに入れることにした。

そして、唯一の心配は、例年もらえていた水上バスのプレス・フリーパス(会場そばのSan Niccolo'-サンマルコ・サンザッカリア間)が今年も出るかどうか。それを見込んで、ホテルもサンマルコ・サンザッカリアから行ける所にした。万が一、これが出ない場合は、1週間券60ユーロを購入しなくちゃならない。まー、プレスパス受け取りまで状況が分からないので、ここで心配しても仕方ないか。

あと、今年はUSBのポータブルWIFIは持っていかないことにした。今年は学校の仕事は極力しないで映画祭を楽しむつもりなので、WIFIは会場とホテルで取れれば十分だもんね。

でもって、最大の不安は、ホテルに無事にたどり着けるか。今年は地図をプリントアウトしたからだいじょーぶだと思うけど。これまでは、方向音痴なくせに前準備が面倒くさく、ざっくり経路を見るだけで、ふんわり覚えたつもりで歩いて、やっぱり迷う……の繰り返しだったから、これではいけないと態度をあらためた。

あとは期間中、体調を崩さないことを祈るのみ。毎年必ず飢餓状態になるので、途中で具合悪くなっていったもんだけど、出来る限り食事は摂るようにしなければ。